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2011/03/29

ショー・コスギ主演映画で「大コケ」した林俊明プロデューサーの「マルチ」な才能

警視庁が金融商品取引法違反の疑いで捜査中の『サンラ・ワールド社』のKoushi_shokosugiグループ会社で、増田俊男氏の自費出版雑誌を発行していた『サンラ出版』元編集長兼社長の林俊明氏が、自己の経歴の目玉とするのが「ハリウッド映画プロデューサー」の金看板だ。林氏のブログなどには、このような自己宣伝が記されている。

1991年 ハリウッド映画「兜-KABUTO-」日本封切り、国内だけで100万人の動員記録を達成し成功を収める。

<KABUTO>は、アクション俳優のショー・コスギ氏(本名・小杉正一)と、その長男のケイン氏の親子ダブル主演の時代劇。コスギ氏と林氏が共同プロデュースして、<三洋&ショーコスギフィルムファンド投資事業組合>という映画ファンドを組成し、日本の投資家から20億円を集めて'90年に制作された。

そこまでは事実。しかし、<国内だけで100万人の動員記録を達成>というのは、誇大するにもほどがある。観客100万人といえば、映画動員ランキングに、上位でランク入りする大ヒット作品のはず。ところが<KABUTO>は、国内外の総収入は7200万円ほどしかなかった。

Ssk日本で'91年に公開されたこの映画のファンドが、解散したのは'95年2月。その少し前の'94年12月、同ファンドが組合員に配布した報告書(画像参照)によれば、国内の収入は6709万1375円。さらに<ハリウッド映画>と銘打ちながら、海外からの収入は、たったの549万4621円という悲惨な結果だったことがわかる。したがって、<成功を収める>という林氏の自己宣伝は大ウソ。<KABUTO>の興行は、ボロボロの“大コケ”だったわけだ。

おまけにファンドの解散後の'97年、コスギ氏と林氏は負債をめぐる泥沼の争いを演じている。

林氏が理事になった「アジア経済人懇話会」の当時の会長・前野徹氏('07年没)の知人でもあったコスギ氏が、<HIFA>という映画学校をハリウッドに設立する準備をはじめたことが紛争の発端だった。

<HIFA>の理事となった田中舘紳喬氏(本名・田中舘喬)が、「コスギ氏に50億円ほどの資金を融通する」という話を聞いた林氏が、「そんなにカネがあるんなら、オレが映画の制作で負った借金の約1億7500万円を払え」ということになったようだ。HifaKosugiTanakadate

この映画制作費の大損をめぐる争いは、決着がつかずに終わる。その後、林氏は心機一転、サンラ出版の編集長となって増田氏のプロデュースに情熱を注ぐ。あるときは武道で鍛えた身体を張り、また、敬愛した増田氏が熱唱する「歌唱CD」までリリースした。だが、そんな友好関係は長つづきはしなかった。親会社のサンラ・ワールド社と金銭問題で大揉めにもめたあげく、<資本の意志>の創刊から1年半後の'01年9月に離職。それからの林氏の職歴は、波乱に満ちていた。

Toshihayashi新会社を立ち上げ、投資家から数億円を集めて破綻する。ウイークリーマンションの「ツカサ」の専務になったかと思えば、あっというまに社長とケンカ別れ。マルチ商法が問題となった会社にも関係した。

各方面で“マルチ”な才能を発揮してきた林氏だったが、「器用貧乏」とでもいうのだろうか、いまひとつ成功したようには見受けられない。

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