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2014/01/14

太田真也弁護士「悪徳弁護士退治」活動の原点<ナマコ詐欺事件>「南洋」社長に懲役12年 〔東京地裁〕

乾燥黒ナマコ事業などへの投資を名目にした詐欺事件で、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)の罪に問われていた『南洋』社長の中元雅二被告の判決公判が、きょう午前、東京地裁であった。

中元被告は、「業務委託をしていた勧誘グループが勝手にやったことで、詐欺との認識はなかった」などとして無罪を主張していたが、東京地裁は「(中元被告が)詐欺を行なうための組織を統括管理、指揮命令し、詐欺集団の頂点に立って実行した被害回復型詐欺」として懲役12年(求刑懲役15年)を言い渡した。

【関連記事】<ナマコ詐欺事件>「南洋」社長・中元雅二被告に懲役15年求刑 2013/10/30



この<ナマコ詐欺事件>をめぐっては、中元被告らが逮捕された'12年2月以前、同被告から委任を受けた太田真也弁護士(神田のカメさん法律事務所)が『南洋』の詐欺商法を批判した複数のブログ記事などの削除を求める仮処分を申し立てていた。これに失敗すると、太田弁護士は批判記事を書いた藤田泰裕行政書士と<NEWS RAGTAG>管理者の津田哲也に対して、損害賠償などを求める民事訴訟を濫発している。

それらの法廷闘争のうち、藤田行政書士を被告とした訴訟で、太田弁護士は東京地裁の1審で勝訴したものの、知財高裁の2審で逆転敗訴(太田弁護士側が上告中)。その控訴審判決のなかで、「控訴人(藤田行政書士)に対し、本件各先行記事の削除を求めるなどし、結果として、(太田弁護士は)南洋の詐欺的行為を容易にする方向で活動する結果となった」と認定されているのだ。

【関連記事】「悪徳弁護士退治」を旗印にする太田真也弁護士「詐欺的行為を容易にさせた」と認定された"痛い判決"全文を公開 2013/09/29



そんな太田弁護士は現在、<弁護士と闘う!>というブログの管理者で<日本弁護士被害者連絡会>なる自主団体の会長を自称する会社員とコンビを組んで、「悪徳弁護士退治」をキャッチフレーズに依頼者を募っている。そして、そのコンビの由来は<ナマコ詐欺事件>にある。

<郷原は徳の賊>ということに、ならなければよいのだが。

<参考記事>悪徳弁護士退治させていただきます。AKUTOKUバスターズ参上!〔弁護士と闘う!〕

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2014/01/09

「DV被害者」を苦しめる「DVでっち上げ」という虚誕の二次被害 ③

'13年7月30日。青森県八戸市に住む高校1年生のH君(当時15歳)は、その日ひとりで、東北大学(宮城県仙台市)で開かれたオープンキャンパスにきていた。

顔見知りのいるはずのない初めて訪ねたキャンパスで、H君は背後から誰かに肩を叩かれた。驚いて振り返ってみると、そこに立っていたのは、中学1年のときから別居している父親のK氏だった。

「警察は玉虫色にしてきたが、オマエを訴えざるを得ない。〇〇高校に訴状を出そうという話になってる。オマエは不正アクセス、虚偽公文書作成の共同正犯だ。触法少年も非行事犯になるんだぞ」

それが約3年ぶりに再会した実の父親から、H君が聞かされた言葉だ。K氏は、H君を被告にした訴訟を起こすつもりだという。しかも、その訴状の送達先をH君の通う高校にすると脅したのだ。

H君は別居するまで、母親のN子さんと弟のT君とともに、茨城県日立市にK氏が所有する家に4人で暮らしていた。だが、K氏の暴力に耐えかねたN子さんは、'10年7月15日にH君とT君を連れて家出する。その年の9月11日から青森県八戸市に定住するようになり、H君兄弟は同市内の学校に転校した。

K氏が、我が子を「触法少年」あつかいにして"共同正犯"と言い放ったうちの「虚偽公文書作成」とは、別居する以前の'10年2月22日に当時12歳だったH君が日立市内の接骨院で治療を受けた際に、同日付で発行された<診断証明書>のことだ。

これについてK氏は「(診断書に)『頭をサッカーボールのように蹴られました』って書いてあったぞ。接骨院にかかるときに『父さんに殴られました』って言ったのか?」などとH君に問い質した。しかし、件の<診断証明書>には「頭部打撲」と「背部挫傷」との傷病名のほかは、「安静加療を要す」としか書かれておらず、負傷の原因についての記載は一切ない。

母親のN子さんによれば、このときのH君のケガは、子ども部屋のあった3階から階下の2階まで、K氏に階段を引きずりおろされてできたものだという。それを否定するためだとしても、ただ母親に連れられて、接骨医に治療してもらっただけの小学生の子どもを「虚偽公文書作成」の"共同正犯"に仕立て上げようとするのは正気の沙汰とは思えない。

そして、もうひとつの「不正アクセス」とは、K氏のメールアカウントから膨大な量のメールデータをN子さんらが入手したことについてだ。

これらのメールは、複数の女性とK氏がやり取りをしたものが大半を占める。そのなかでK氏と大学時代から親交があるという女性から、N子さん母子と別居する約10ヵ月前の'09年9月23日に、K氏に宛てて送信されたものは<この4年間の様な、なんだか不倫相手みたいに中途半端な立場のままで過ごすのはイヤです ─中略─ 離婚して下さい。結婚はいつか先でいいけれど、離婚はすぐにして下さい。まずお互いに恋愛が出来る対等な立場になって、それから堂々と付き合いましょう。現実的には子供が大学へ入学するまでくらいは現在のまま、家族としての形態で生活を続けていても構わないし、私も東京にいます。でも夫婦としての法的関係は解消し、ケジメを付けて下さい>といった内容のプロポーズのメールだった。

また'10年2月2日には、おなじ女性とK氏が、その週末のデートの打ち合わせをする複数の往復メールがあった。このやり取りは、最後にK氏が<泊めてね>と返信をして締めくくっている。

さらにN子さんが入手したメールデータのなかには、K氏が別の女性2人と2度にわたってGf_1海外旅行に行っていた"証拠"もあった。ホテルのロビーらしき場所で、女性を膝の上に乗せて抱っこし、満面に笑み湛えたK氏の写真などだ。

N子さんはこれらをK氏との離婚訴訟や、面会交流ほか2件の申立事件などで証拠提出している。するとK氏は、「'11年8月11日頃に、自身が社長を務める会社にN子が不法に侵入して、アイパッドを盗み出した。それから調べたパスワードを使い、子どもにパソコンを操作させてメールアカウントに不正アクセスし、メールデータを窃取した」などという根も葉もない主張をして、警察に被害届も出したようだ。しかし、これは事件化されることもなく"不発"に終っている。

さらに同様の主張をしていた面会交流などの申立事件でも、K氏が東北大学のキャンパスに出現する5日前の'13年7月25日に、その審判で<窃取行為や不正アクセスを認めうる的確な証拠はない>と青森家裁八戸支部が事実認定をしていた。

つまりK氏は、すでに司法がH君の"潔白"を認めたことを承知していながら、未成年の我が子の非行を「でっち上げ」しようとしていたのだ。

またK氏は、N子さん側から法廷に出された"恥ずかしいメール"について、変造や改竄がなされているという主張もしてきた。これを真に受けた<弁護士と闘う!>というブログが'11年10月に「離婚事件・弁護士がラブメールまででっちあげる」と題した事実無根の記事を公開(今年1月6日に削除)したが、そこに全文が掲示されたメールに加工が施されたような痕跡は微塵もみられない。

N子さんは"恥ずかしいメール"などを証拠に、K氏の相手方の女性3人に対して、損害賠償を求める民事訴訟を青森地裁八戸支部に起こしていた。これらの訴訟は、いずれも'13年12月6日の判決で<性的関係があったとまでは推認できない>などとして請求は棄却されたものの、証拠のメールの信用性については<偽造、変造がなされたと推認することはできない>などと認定されている。

いずれにしても、茨城県に住むK氏が、青森県からH君が宮城県の東北大学に行くことを察知するのは容易ではない。そして、その目的が我が子に会いたい一心という純粋な親心とは、当日の会話の内容からはとうてい思えない。

東北大学に来ることを知ったことについてK氏は、「ありとあらゆる手段を講じて調べ上げた。裁判所の許可を取らなくても、こうやって偶然に会いました、って言えばいいんだよな」とH君に話しており、興信所や探偵社を使ったであろうことを示唆している。そこまでしてK氏がH君と会おうとした執念の源泉は、その5日前の家事審判にあったのかもしれない。

'13年7月25日に、3つの申立事件の審判があったことは前述した。これはK氏の側が「面会交流」「子の引き渡し」「子の監護者の指定」について申し立てたものだったが、そのいずれについても青森家裁八戸支部は却下し、つぎのように認定している。

申立人(註:K氏)による家族に対する暴力や物品に対する粗暴行為、別居後に二男が在籍する小学校に出向いてした申立人の行動、平成25年1月ころに申立人が長男のアドレスに送付したメールの内容等に照らすと、親子関係が動揺した原因は、申立人の行動に負うところが大きいと判断される。

申立人と子らとの手紙等の通信による交流も、子らに対し不安感の伴う強いストレスを生じさせたり、父母の間の忠誠葛藤を生じさせたりする蓋然性が高い。そうすると、申立人と子らとの直接、間接の面会交流は、いずれも子らの心情の安定を著しく害し安定した生活を困難にして、子らの福祉に大きな支障を生ずるおそれが高い。

そうした審判のあった直後に、K氏は東北大学のキャンパスでH君をつかまえ、「オマエも訴えるぞ」などと言って脅したのだ。

別居した年の'10年11月30日に、K氏の側から提起した離婚訴訟(翌年に妻側からも提訴)は、現在も係属している。また、3つの申立事件の審判に即時抗告('13年10月24日に却下)もした。それらの訴訟や申立事件の抗告で、K氏は、自分に不利な陳述書を書いたH君を恫喝することで、有利に立ち回ろうと考えて東北大学のキャンパスに行ったのかもしれない。

しかし、そうすることが逆効果でしかないことは、3つの申立事件の審判の認定によっても明らかだろう。

別居後の'10年12月2日に行なった<配偶者暴力に関する保護命令>の申立書に、N子さんは<別居後、私への暴言の電話がひんぱんにあり、夜もねられない日々が続いています。また、昼夜を問わないメールが保存されているものだけで160通あります。内容は私への暴言、私の親への暴言、子供を跡継ぎに1人よこせなど一方的なものばかりなので、一切連絡をとりたくありません>と記入していたが、K氏のストーカーまがいの威圧行為の執拗さは尋常ではなかった。

次男のT君が通う小学校に乗り込み、10時間近くも居座って、校長らに暴言を吐く。H君が通っていた中学校(当時)へ知人女性を行かせる。'13年1月10日には、母子の家の周りをレンタカーを使って徘徊し、H君兄弟はカーテンを閉めて身をすくませた。さらに同月28日から、H君のアドレスに複数のメールを送りつけ、K氏はそのなかに<母さんは不倫をして、中絶をしたことがあるが、お前は知らないのか>などと書いてN子さんを誹謗中傷。

さらにその翌月の2月8日には、弟のT君が登校途中に見知らぬ男から声をかけられ、「お父さんから頼まれた」と言って封筒を渡される"事件"もあった。この不意の出来事に怯えたT君は泣きながら帰宅し、その日は学校へ行けなくなったという。渡された封筒の中には、離婚訴訟の書類や現金2万円などが入っていた。N子さんから通報を受けた八戸警察署の警察官が、K氏に確認したところ、「母親がウソばかり主張するので、母親がウソつきだということを教えたかった」と説明したのだという。

また、発信者は不詳だが、'13年9月頃にはN子さんの仕事の関係先各所に"怪文書"が送りつけられている。それは、N子さんが婚姻中に他の男性と半同棲をしているというような、虚偽の中傷だった。

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「身に覚えのないDV加害者との汚名を着せられた」と主張するK氏だが、同居中の殴る蹴るの暴行の有無によらず、すくなくとも別居後のストーカーまがいの行為は「精神的暴力」といっても過言ではないだろう。

K氏のN子さん母子に対する嫌がらせには、法的な手段を使ったものもある。そのひとつが、昨年末に「配偶者暴力に関する保護命令の申し立てを有利にするため、虚偽の内容の診断書を作成した」として、K氏が提起した訴訟だ。このほかにも、K氏は<弁護士と闘う!>と提携する太田真也弁護士(神田のカメさん法律事務所)を代理人にした2件の訴訟を、N子さんに対して起こしている。

これらの裁判については、追ってレポートしていく。

<了>

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2014/01/02

「DV被害者」を苦しめる「DVでっち上げ」という虚誕の二次被害 ②

2階の窓からK氏が家具などを投げ捨て、警察官が駆けつける騒ぎがあってから3ヵ月が経った'10年7月15日の朝、また"事件"が起きた。
K氏が、N子さんの顔面を殴打したというのだ。
そのときの状況について、N子さんは言う。
「それまでにもKは、夜中に出かけることが多かったのですが、その日、自宅に帰ってきたのは朝の7時頃でした。私は、そのときパソコンを使っていたのですが、もめるのも嫌なので、素知らぬふりをしていたんです。そうするとKは、無視されたと思って腹を立てたのか、パソコンのコンセントを引き抜こうとしました。それを止めようとしたら、もみ合いになって、いきなり平手で3回、顔を殴られたんです」
N子さんは、この暴力をきっかけに家を出る決意をしたのだという。
K氏が仕事に出かけたあと、学校から戻ってきた2人の子どもを連れ、わずかな荷物だけを持って逃げるように家を出た。母子3人が向かったのは、自宅とおなじ茨城県日立市内にある母親の家だった。
母親の家で子どもたちと一夜を明かしたN子さんは翌日、K氏が仕事で出かけている日中に、荷物を取りにひとりで自宅へ戻ってみた。すると、家の鍵が付け替えられてられており、なかに入ることができなかったという。
その後、しばらくのあいだN子さんは、子どもたちと母親の家で暮らし、8月11日に青森県八戸市にある父親の家に移った。しかし、N子さん母子が家を出るにいたった事情をよく知らなかった父親は、K氏と電話ではなしをして、子どもたちの学校の2学期が始まる前に帰らせる約束をしてしまう。
K氏が、車で八戸市に迎えにやって来たのは8月29日。K氏が運転する車にN子さんの父親も同乗し、日立市の自宅に母子が着いたのは、日付も変わった午前2時頃だった。が、ひさしぶりに家に帰ったN子さんは愕然とする。
子どもたちのベッドや勉強机などが、子ども部屋から搬出され、1階の駐車場に廃品のごとく積み上げられていたのだ。さらにN子さんの持ち物は、ほとんど処分されてしまっていたという。
自宅に帰ってみたものの、子どもたちの寝る場所すらない。N子さんはK氏と口論になり、その日の朝、再びN子さんは子どもたちを連れて家を出た。
いったんは日立市の母親の家に住み、そこから子どもたちは学校に通ったが、その生活は長くはつづかなかった。
当時小学3年生だった次男の通う小学校に、K氏が電話をかけるなどしたことから、N子さんと子どもたちは9月11日に日立市から遠く離れた八戸市の父親の家に転居する。子どもたちは、地元の学校に転入した。
それ以来、現在にいたるまでK氏とN子さん母子は別居をつづけている。
子どもたちの生活費については、K氏は'10年10月に24万円をN子さんに渡したが、それは1回きりで、その後は1円も支払っていない。N子さん母子はそれ以降、N子さんの父親などからの援助に頼って3年あまりのあいだ生活してきた。

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家族に暴力をふるった事実があっても、「子を叩いたのはしつけ」で「妻を殴ったのは、たんなる夫婦ゲンカだ」などといった詭弁を弄し、DVを否定する加害者は少なくない。確かにDVなのかDVではないのか、その境目を判断する基準は曖昧だ。個人の主観によって、その解釈も大きく違ってくる。
K氏の場合は、あくまで「DVではない」という主張だ。'13年の末にN子さんらを相手に提起した民事訴訟の訴状には、「身に覚えのないDV加害者との汚名を着せられた」と記している。また、年の明けた'14年1月2日の未明に<NEWS RAGTAG>管理者の津田哲也宛てに送ったメールには「野中弁護士(註:N子さん側代理人)の言い分でいい加減な記事を書くな」「不登校の子供を叱る親をでっち上げで仕込んだ事実の確認したのかを問う」(いずれも註釈以外は原文ママ)などと、K氏は乱暴な文調で書き殴っていた。


だが、そんなK氏の主張も、同メールの中で「N子(註:原文では実名)からの言い分を聞かねばならぬ何かがあるのか?」とも述べており、被害者側の言い分を頭から否定する一方的なものでしかない。
別居後の'10年12月2日にN子さんが行なった<配偶者暴力に関する保護命令>の申し立てを青森地裁八戸支部が認め、K氏が接近禁止などの保護命令を受けていたことは巌然

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たる事実として存在する。
この保護命令の申立書に、N子さんは'98年9月25日にK氏に革靴で顔面を殴られた事案から、'10年7月15日の家出をする
原因となった暴力にいたるまでの新旧計4件の事例を記載している。


だが、保護命令をN子さんが申し立てるにいたった直接の動機は、別居後の出来事をきっかけとした警察官の進言だった。
子どもたちが青森の学校に転校し、ようやく慣れはじめた頃の'10年11月11日、K氏は次男の通う小学校に乗り込んだことがあった。

「子どもに会わせろ」とK氏は要求したが、学校側はこれを拒否。押し問答は午前9時半頃から始まり、K氏は午後7時頃まで学校に居座った。その騒ぎを聞きつけて、小学校に駆けつけた長男の通う中学校の校長に対して、K氏は暴言を吐くなどしたという。

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この一件で恐怖を感じたN子さんは、翌日に青森警察署へ相談に出向いた。そこで相談に応じた警察官から、<配偶者暴力に関する保護命令>の申し立てをすることをすすめられたのだった。

青森地裁八戸支部が発令した保護命令を不服としたK氏は、即時抗告をしたが、これを仙台高裁は'11年2月28日に棄却。さらにK氏は特別抗告をしたが、これも同年6月10日に棄却されている。
その後も、K氏は「暴力の事実がないのに保護命令の決定を出させた」などと主張しつづけた。しかし、子の監護権などをN子さんと争った家事審判でも、「暴力をふるった事実が認められるから失当」と認定されているのだ。
家族に対してふるった暴力が「DVではない」とするK氏の主張は、すでに司法によって否定されている。それにもかかわらず、「身に覚えのないDV加害者との汚名を着せられた」として、N子さんや接骨医らに対して840万円もの高額な慰謝料を請求する訴訟を提起した。


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じつはK氏はこの訴訟のほかにも、N子さんやその代理人の弁護士らに対して、嫌がらせとしか思えない数多くの行為を執拗かつ壮絶につづけているのだ。
つづく

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